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あの日から13年 震災と原子力災害を考える

中学校全学年を対象に、東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所の事故による原子力災害について考える特別授業が行われました。(2024/03/08)

本校中学校の浅野浩士教諭は、東日本大震災当時、津波で大きな被害があった相馬市磯部地区の中学校に勤務していました。
特別授業では、浅野教諭が体験した地震や津波の被害、避難誘導、行方不明者の確認、避難所の運営、そして原子力発電所の事故による避難など当時の緊迫した状況について話を聞きました。
そして、原発事故と放射線、風評被害、災害からの復興について、中学生が考えました。

受講した生徒の感想
「私も浪江町から家族と一緒に避難してきました。私は正直当時のことは覚えていません。でも、母は『いろんなところを転々としたんだよ』『とにかく子どもだけは守らなきゃって必死だったよ』という話を何回も聞いたことがあります。今回授業を受けて改めて原発の恐ろしさがわかりました。もし、同じように苦しむ人がいたら同じ痛みを知るものとして優しく声をかけたいです。」(中学1年女子)
「家族や同級生など、身近な人が死んでしまうというのは想像ができないことだけど、今の自分に起こり得ないことではないなと思った。だから、日頃から感謝の言葉やごめんなさいを伝えられたらいいなと思いました。福島で起こった原発について正確な事を知っている人は少ないと思うので、今回聞いた事実をたくさんの人に伝えたいと思いました。」(中学3年女子)

「震災から13年が経とうとしているが、廃炉や帰還困難区域についてまだまだ課題が山積みであると実感しました。着々と進んでいるのは確かだが、それでもどこかスローペースに感じる部分もあったり、トラブルが起こったりと、完全な復興というのは途方もない時間がかかるのだと思いました。能登の地震で、災害がまた強く実感させられる出来事があり、このような機会だからこそ、地震や津波の怖さを改めて理解し、自らの防災意識を高め、家族とも共有していくこと、福島や能登といった被災地の復興に関して何か自分にできることはあるかを考えていきたいと思いました。」(中学3年男子)
「私は小さくて、震災のことはほとんど覚えていませんが、震災のことは絶対に忘れてはいけないと思うので、浅野先生のように後世のために伝えくことも大切だと思いました。(中学3年女子)

「去年は処理水の問題についてのニュースをいくつか見ましたが、実際の現状と国民や外国の人とのイメージでは常々乖離があると感じていました。コロナによって薄れつつある震災の問題ですが、もう一度注目し直し、何が正しいのかを知ろうとすること、また正しい情報を広めていくことが重要だと思いました。」(中学3年男子)
「今回の授業で津波による被害の大きさや人命的な被害だけでなく精神的にも被害があり、それは今でも続いているということを学びました。また、原発のデブリの問題や汚染水の処理などまだまだ問題が残っていると知って、これからも問題解決に向けてやらなければならないことが多いと感じました。これからも福島原発の処理水問題などを調べるなどして関わっていきたいと思います。」(中学3年男子)

「誰かに助けてもらい、誰かを助けるという、当たり前のようで当たり前でないことなんだなと思いました。誰かに助けてもらうことはあっても自ら進んで助けようとする人は本当にすごいなと思います。私たちが、今こうして不自由なく、健康でいられる裏には、必ず誰かの支えがあることを忘れてはならないと思います。だからこそ、当たり前だと思わず、感謝ができるように、命を大切に1日1日を暮らしていこうと思います。そして、誰かがやってくれるから、助けてくれるからではなく自分が助けるという意思を心の軸において生きていこうと思いました。」(中学3年女子)
「今ある当たり前の平和な生活がずっと続くとは限らないので今ある時間を大切にこれからも過ごしたいと思います。私たちは『勉強したくない』などと嘆くこともありますが、能登半島の学生たちはきっと勉強がしたくてしょうがないのだと思います。勉強したくてもできない、ご飯を食べたくても食べれない、学校にいきたくても行けない、友達や家族に会いたくても会えないといった思いをしている人が数えきれないほどいると思います。私たちはそのひとたちの分まで精一杯頑張るべきだと思います。感謝を忘れず過ごしていきたいです。」(中学3年女子)