「語り継ぐとは何なのか」 SSH震災当時を知る
東日本大震災や福島第一原子力発電所の事故と復興について考える「復興と廃炉に係る研修」を、2年生サイエンス探究コースの生徒50名が受講しました。(2023/12/1)
2回目となる今回の研修は、被災体験をされた方から直接なまの声をうかがうことで、事故後における福島県の現状を県外・国外に伝えるために、生徒自身が正確な知識を理解し、発信できる力を育成することを目的として実施しました。
講師は、原発震災を語り継ぐ会 花と希望を育てる会 主宰 高村美春 氏
東北大学大学院 社会学研究室 雁部那由多 氏
高村さんからは、震災当時、南相馬市に在住し、原発事故により非難の必要に迫られる家族と職場の介護施設に残されたお年寄りへの思いに葛藤し、混乱した12年前を、昨日のようにお話しいただきました。
雁部さんからは、宮城県東松島市で津波の被害にあった当時の様子や、発災から12年目の被災地の様子、被災者として未災地の人々へ何を伝えればよいかについてお話しいただきました。
受講したある生徒の感想(原文)
『自分はいつも福島県の一員として、正しい震災の知識をつけて、他県や世界へ発信していくべき立場にあると思っていた。しかし、それは非常に安直で浅はかな考えであることを今回痛感した。災害を直接経験した方の言葉の重みは、間接的に経験しただけの私とは比べ物にならないほどだった。語り部の方の「息子に語り部をさせたくない」という言葉に非常に考えさせられた。語り部の方は、埼玉へ一時避難した4歳の息子が「壊れてしまっていた」と表現した。きっと今まで愛養していた小さな息子だったのだろう。その手を自ら手放してしまったことを非常に後悔していることが伝わる表現だった。その時からいまこの時まで続く、何よりも守るべき更に大切な存在へ昇華されたのだろう。そして、大きくなった自分の息子も母のように語り継いでいくべきだと感じている。語り部は、自分の傷を抉る(懺悔)行為だという。そんな母の背中を見て育った息子さんが「語り部を継ぐべき」と少しでも思っていることに、親子の情を感じた。語り部をする母を慕い、母の庇護下から飛び立とうとする気持ちがあるのではないだろうか。私は今まで「語り継ぐ」辛さを考えず、「私たちにできることは震災を後世へ語り継ぐべきだ」と言い続けてきた。「語り継ぐ」とは何なのか、考えさせられる機会となった。正しく語り継ぐには、今回の話を聞けて、本当に良かったと感じる。自分の視野の狭さを痛感した。』
『至って普通の生活を送っていた小学生が、唐突に人の生死がかかった残酷な選択を迫られるという状況にショックを受けた。「自分だったら手を差し伸べるか?」という問いへの答えを出すことは難しく、今でも分からない。手を伸ばせば一緒に死んでしまうかもしれないし、手を伸ばさなければ自分は生き残ることができるとしても、その時に見た景色を一生胸に抱えながら生きるのだろう。また、クラス内の格差の大きさにも衝撃を受けた。同じ学区内に通う生徒たちの中でも大きな差があり、腫れ物扱いをされるようになったら自分では耐えられないと思う。小さな「被災者」という輪の中でも暴力や格差があり、人の心が荒んでしまうことが恐ろしいと感じた。不測の事態に陥った時、自分たちの命と心を守る選択を見極めるようにしたいと思った。』
10月に行った第1回目の「復興と廃炉に係る研修」では、経済産業省資源エネルギー庁の木野正登氏から、ALPS処理水についてや廃炉について話を聴きました。